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立ち上がる二本松の有機農業者(前編) 新規参入者に未来託す

淑徳大学客員教授 金子勝さん

2011年3月11日、東京電力福島第一原発事故が発生。北西方面中心に放射能が拡散した。二本松市長の三保恵一さん(当時61歳)は、市民とくに子どもの命と健康を守るのに懸命だった。住宅地の除染では、妊婦や子どもがいる家庭を優先した。県内の市町村のなかでもいち早く、小・中学校の校庭の除染に取り組み、表土をはいで地中深く埋め、校内の全室にクーラーも設置した。

 
二本松市長の三保恵一さん

コメの全量検査を継続 マルシェ(直売市場)で結果をアピール

福島第一原発事故の直後、二本松市でもすべての農産物の出荷が停止された。市役所の地下と三つの支所で野菜や果物の検査を始めたが、流通量が多いコメの検査には多くの時間を要する。そこで二本松市長の三保さんは政府に全量検査の実施を求め、関係各省庁に新たにコメ専用の検査機器の開発を急ぐように要望した。

当時、私は安達太良山の懐にある二本松市を訪ね、市役所を訪問した。経験したことがない原発の重大事故に直面し、市役所内はどことなく張りつめた空気が漂っていた。こうしたなか、島津製作所が動き、医療・臨床用「GBO検査器」を応用して一袋30秒で放射能を検知できる機器が開発された。これによりコメの全量検査は国の方針となり、福島全県で実施されるようになった。三保さんの科学的知見に基づいた政策実行力のたまものだ。

コメの放射能検査は科学的施策と三保さんは確信していたが、意図した結果が出るまでには時間がかかった。当初、農家は「自分が作ったコメから放射能が検出されたらどうするか」と不安を抱えていたからだ。「どの地域で誰がつくったコメから放射能が出たのかが分かる」ことへの抵抗もあった。実際に一部地域のコメから放射性物質(セシウム)が検出されると、福島産のコメは一時的に売れなくなった。放射能が未検出とされたコメも主に加工米用途でしか売れない状況に陥った。それでも農家はマルシェ(直売市場)での宣伝活動に取り組み、福島生協が検査を実施したうえで「安全なコメを食べよう」との声を上げた。これにより「福島県産米はしっかり検査しているから、むしろ安全」と言われるようになった。三保さんは農地の回復にも尽力し、セシウムなどの放射性物質の吸収を抑制するゼオライトやカリウムを積極的に土壌に投入。そのかいあって福島産米の信用は回復していく。
 

福島産米の信用回復は進んでも、農家の減少は止まらず

しかし、事態が「正常化」していくにつれ、農村地域における人口減少と農地の荒廃という全国各地に共通する問題が浮かび上がってきた。

2006年に6万4609人だった二本松市の人口は2023年11月には5万1452人と17年間で約1万3000人と2割の減少幅を記録。福島原発事故の影響で、2011~13年には年間1000人を超える人口減少が起きた。(図1)

とりわけ田畑を耕して生きる農家の減少は著しい。農水省の農林業センサスによる農業経営体数の動きを見ると、2005年に3,961あった農業経営体は、2020年には2,150と半分近くに減った(図2)。また、年齢階層別の農業従事者の分布は65~69歳が一番多く、次いで70~74歳、そして75~79歳と続いている(図3)。あと10年もすると、農業従事者も農業経営体もさらに減少していくだろう。

図1 二本松市の人口動向
 
 
出所:二本松市「地区別人口の推移」
 
図2 二本松市の農業経営体数の推移
 

出所:福島県「農林業センサス」より作成

図3 二本松市の年齢階層別農業従事者数


出所:福島県企画調整部統計課「2020年農林業センサス」より作成

二本松市の農業経営体2,150のうちコメ農家は1,761と約82パーセントを占める(2020年農林業センサス)。一方、農業生産額(2021年市町村別農業産出額推計)を見ると、1位が野菜で28億1000万円、2位が肉用牛で16億7000万円、コメは3位で15億円にとどまる。野菜とくに「きゅうり」は産地ブランドを形成しており、後継者は一定数いる。肉用牛は2位につけているものの今は飼料価格の上昇で経営が厳しく、コメは長期にわたるコメ離れの影響もあって価格が低迷し、より困難な経営を強いられている。そのため、高齢化に伴うコメ農家の減少が止まらない。稲作を続ける他の農家に請け負ってもらい、農地の集約を進めていることもあり、県内の他地域に比べ耕作放棄地の増加は抑えられている。だが、家族経営では15ヘクタール以上の水田を抱えても生産性は高まらない。このまま人口減少が進めば、やがて耕作放棄地も増えていくだろう。

福島県内初の「オーガニック・ビレッジ宣言」が起点に

三保さんは地元のコメを加工する新たな食品加工業の可能性を懸命に探ってみたが、簡単に実現できそうもなかった。そんな試行錯誤を経て2023年2月25日、二本松市は福島県内初となる「オーガニック・ビレッジ宣言」を発表し、二本松市循環型農業推進協議会を立ち上げた。有機農業に二本松農業の生き残りをかけ、その可能性を追求するとの意思表示だ。

その背景には福島の県北地域(福島市、川俣町、伊達市、桑折町、国見町、二本松市、本宮市、大玉村)のなかで、二本松市は数多くの有機農業者を排出しているとの現実がある。福島県県北農林事務所がまとめた『県北地方の農林業の現状』(2023年2月)によれば、県北地域における有機農業従事者は12人で、うち二本松市の農家11人が占める。福島県の慣行栽培基準の半分以下の「特別栽培」でコメを生産する農家は68人。うち二本松の農家は11人となっている(2021年時点)。

実際には二本松市の有機農業者はもっと多いはずだ。二本松地区中心に、有機農業の先駆者である大内信一さんが「二本松有機農業研究会」を立ち上げ、研究会のメンバーは現在24人に増えた。さらに東和・岩代地区にも「オーガニックふくしま安達」があり、福島原発事故後も、二本松・東和・岩代地区では新規就農者が増えている。まだ活動は緒に着いたばかりだが、そこに希望の芽を見出すのは私だけではなかろう。

彼らは原発事故によって放射能で汚染された土地と農産物を検査しながら除染作業を重ね、大地を元に戻すために懸命に汗を流して、放射能汚染を克服しようと努力を重ねてきた。その成果がようやく現われようとしている。もちろん福島原発近辺地域や森林地域など依然として大きな課題を残しているのはいうまでもない。その現実と向き合いながら、原発事故によって負うことを余儀なくされたハンディキャップを本当に乗り越えるには、日本全国の農作物に勝るとも劣らないレベルの安全な農産物を提供しなければならないという重い課題がのしかかる。しかし、それができたとき、より先進的な農業が生まれる可能性がある。

現在、二本松有機農業研究会の会長は大内信一さんの息子で50代に入ったばかりの督(おさむ)さんが務めている。父親の信一さんは最初の子どもを身ごもった妻が農薬で気分を悪くしたのを機に有機農業を始め、農家仲間16人と1978年に二本松有機農業研究会を立ち上げた。大内家の農地は7ヘクタールだったが、信一さんが高齢になったこともあり、現在は畑が2ヘクタール、水田2.2ヘクタール、大豆小麦などが1ヘクタールの5.2ヘクタールに減らしている。



大内督さんの圃場

督さんは1998年に就農し、2011年3月の福島原発事故に遭遇。年間線量2.3ミリシーベルトという発表にショックを受けた。農薬や化学肥料などの化学物質のリスク低減を最も重視している有機農業者にとって、原発事故による放射性物質の汚染は天から降ってきたような悪夢であり、絶望の淵に突き落とされるに等しい痛手だった。原発事故の前年の秋にまいたネギは大丈夫だったものの、ほうれん草や小松菜、キャベツからは放射能が検出され、全量を廃棄せざるを得なかった。しかし、事故前の2月にまいた大根やほうれん草からの検出数値は50ベクレル以下になった。むろん個人向け販売量は6割減ったが、年配の顧客を中心に4割が残ってくれた。「ここで生きていくしかないという想いが強かったので、ありがたかった」と督さんは言う。

二本松有機農業研究会会長の大内督さん

全国組織の日本有機農業研究会に所属する農家仲間が田畑の土を天地返しに用いる機械プラウ(すき)を寄贈してくれた。できるだけ深く掘って天地返しを続けた。県から支給された稲作と大豆用のゼオライトもまいた。2011年5月以降、放射能は検出されなくなり、何とかいけると思ったという。それでも2013~14年は野菜がなかなか売れなかった。コメについては岩代地区で収穫された2011年産米の一部から500ベクレルの数値が検出された。翌年全袋検査が行われたが、たとえ検出下限値以下であっても加工米以外の用途ではなかなか売れなかった。有機農業研究会は東京のマルシェ(直売市場)で野菜を販売しながら、消費者への説明を重ねたところ、福島生協の自主検査の成果もあって2014年から2015年にかけてようやく状況が改善されてきたという。督さんをはじめ有機農業者たちは目先の困難に惑わされることなく、未来へ向けて、より自然環境と人に負の影響を与えないための努力を重ね続けてきた。そして2016年、督さんは二本松有機農業研究会の会長になった。

「父親たちの世代は思想の純粋さで固まっていたので、ともすれば周囲から孤立しがちに見えた。生活ができずに経営が持続できなくなり、有機農業から離れていくケースもあった」と督さん。だが、いまは違う。自分の周囲でも進んで有機農業に取り組む人が増えてきた。しかし、高齢化した地元農家が今から有機農業に変えるのは難しいだろう。だが、有機農業でなければ新規就農者の参入が望めないというのもまた現実という。

農業に新規参入しようとしても、一から自分だけではじめるのにはかなりの無理がある。空いている田畑とその近辺にある空き家、さらに農業技術の習得に経営手腕を身に付けるには周囲の農業者の助言や指導を受ける必要がある。「行政がサポートしてすべての条件をうまくマッチングさせる仕組みがあれば、まだまだ新規就農者は増えていくのではないか」と督さん。新規就農者たちに二本松の有機農業の未来を託す。(後編に続く)

撮影/魚本勝之

 
かねこ・まさる
1952年東京都生まれ。東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。現在、淑徳大学客員教授、慶應義塾大学名誉教授。『平成経済衰 退の本質』(岩波新書)『メガリスク時代の「日本再生」戦略「分散革命ニューディール」という希望』(共著、筑摩選書)など著書・共著多数。近著に『岸田自民で日本が瓦解する日 アメリカ、中国、欧州のはざまで閉塞する日本の活路』(徳間書店)がある。

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