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個性的な店主が織りなす19景 見て聞いて、人柄に触れて感じたものは――

筑摩書房「絶滅危惧 個人商店」に問いかけられて
著者に聞く フリーライター 井上理津子さん


こうして、いまも仕事をさせてもらっています。ありがたいことです。でも、仕事って何だろう。自分は世間のお役にたてているのかと考えてみると、なんだか多分に何かが足りないし、まったく未熟としか思えません。そんなとき、出会ったのが井上理津子さんの書かれた「絶滅危惧 個人商店」でした。この一冊に込めた思いを井上さんに伺いました。

難儀し苦労を重ねても「この仕事が好き」で「楽しくて」

――2020年12月刊の「絶滅危惧 個人商店」(筑摩書房)が文庫化されると伺い、大変うれしく思いました。とにかく読みやすい。読むというよりラジオ番組の現場リポートのように、18軒の小さな専門店と1軒の銭湯の経営者たちの肉声と仕事の現場の様子が生き生きと耳に届いてくる感じがしました。よく「話すように書けばいい」と言われますが、そうは簡単にいきません。井上さんの筆運びは実に洒脱でリズミカル、軽妙にしてわかりやすいと脱帽しました。

なんだか照れちゃうけど、うれしいです。それぞれ異なる生業(なりわい)の場に足を運び、伺ったお話が一冊の本になったとき、すべての店主に通じる確たる思いめいたものを感じました。まずは<本当に自分の仕事が好きなんだ>ということ。もちろん、暮らしのためといえばそうなのですが、夢中になって長くやるうちに自然とそうなってしまったという方ばかりでした。なかには「商売は遊ばなきゃ」と説く人もいて。厳しい、切ない、大変だぁの苦労はあっても、来てくれるお客さんには楽しい気分になってもらいたい、どうすればそうなるかを工夫するのが楽しくてならない。だから遊ばなきゃというのです。たぶん苦労を苦労と思ってらっしゃらないのではないでしょうか。もちろん経済的な収支を考えたら厳しいはずです。でも、その思いと「これやりたい」「あれやりたい」「これやったらお客様のためになるし、自分も楽しい」という気持ちがセットになって、一つの人格ならぬ“店格”が出来上がっているという感じです。


――取材されたお店が地域の「居場所」になっていたりします。


そう。居場所多いでしょ、時計屋さんもそうです。何というか、確かにコミュニケーション(交流)の場なんですが、むしろ表現としては「団欒(だんらん)」の空間といったほうが、ぴったりくる気がします。それが何度も足を運びたくなる魅力の一つ。卑近なことでいうと、私の子どもたちは大阪の千里ニュータウン育ちですが、家から自転車で少し走ると旧来からの街があり、そこに駄菓子屋さんがありました。今ではすっかり大人になった子どもたちが妙にその駄菓子屋さんを覚えていて、懐かしがります。子どもたちの居場所だったのでしょうね。

――いまや駄菓子はコンビニで買うのかなぁ……。

あと、大手スーパーに“駄菓子ストリート”のようなのができていますよね。それはそれ、世の移ろいというものでしょう。私の子どもたちは転勤族なんです。昨年、ひとりが岩手の盛岡から京都府内に転勤しました。すると「引越し先の町にも盛岡にあった大手モールがあり、安心した」と言っていましたが、それはなるほどと思います。ちょっと寂しいなと私の目には映りますが、暮らしの環境が大きく変わったとき、馴染みの商業施設は安心材料になる。「はじめまして」の個人商店ばかりでは落ち着かない。でも、やがてお気に入りの個人商店もでき、新しい町に馴染(なじ)んでいく。やはりバランスとバリエーションがあって、ちょうどいいのではないかと思います。

単に何かを売るだけではなく、世間のお役に立ちたい心意気が

――ご高齢で跡継ぎがいない悩みを抱えた小さなお店は少なくないでしょうし、設備のデジタル化やカード決済などのキャッシュレス化に対応する資金的な余力がない、そのシステムを使いこなす気力も湧かないなどの事情が重なって閉店を余儀なくされるケースが増えているのはわかります。ただ、社会システムというものを急速に一元化していいものかと思うのです。むしろ、ゆるやかな変化が望ましく、緩やかなグラデーションがあってこその「多様性」ではないかと考えますが、どうでしょうか。

そうかもしれません。ただ「絶滅危惧」というタイトルに「なくならないでほしい」「消えていかないで」の願いを込めたのは確かですが、誠に失礼ながら、取材には当初「遅かれ早かれ絶滅するんだろうな」という痛い気持ちを抱えて臨んでいました。ですから取材先の良さを誇張したり、宣伝めいた話を書いたりするのではなく、ありのままの姿を記録したいと、ゆるゆる取材を続けることで店主たちの胸中に当たり前のようにある思いや願いを聞き出せたらいいな。その魅力的な仕事を支える心意気を言語化したいなぁと思ったのです。


―――いま、心意気とおっしゃいました。それを言葉にすると先ほど伺った自分の仕事が「めっぽう好き」、「遊びや趣味のように楽しい」、自分が仕事のために身に付けた「知恵」「知識」「技術」を生かして世間の「お役に立ちたい(使命感)」、それらの心を世間に「伝えたい・話したい」、そしてどうかと「聞いてみたい」という「魂」ということになりませんか。それに「隠れた気配り」でしょうか。まさに仕事が「生きがい」という人たちですよね。

その通りだと思います。それと、もうひとつあります。これは声を少しだけ大にしてお話ししたいのですが、私が取材した18軒の店主には、あくどい商売姿勢の人が一人としていませんでした。これは自信を持って言い切れます。

それから言葉は悪いかもしれませんが、御年100歳、90後半と超ご年配層の店主さんは店を継続することが、その方の「終活」のようなところがあって「それがいい。むしろそうしたい」と願ってらっしゃるように感じたりしました。これは本の内容からは離れますが、昔、大阪の淀川の漁師さんから取材で伺った話です。その方は小舟でウナギ漁をやってらっしゃったのですが、別の船のご年配の漁師さんが操業中に心臓麻痺を起こしたそうです。そのとき、近くを通りかかった船が異変に気づいてお助けしたといいます。救急車を呼んで運よく命が救われたわけです。ところが命を繋(つな)いだご本人さんが「あのまま逝きたかった」としみじみつぶやかれたと聞きました。息子さんも「ほんとだよ、ありがた迷惑なことで」と笑っておられたそうです(笑)。この話をしてくれた漁師さんも素敵な人で「川が壊れたら町が死ぬ」という忘れられない名言を残してくれました。


今回の文庫本のあとがきの最後の一行に書きましたが、半世紀後に「絶滅危惧 個人商店」を手にしてくれた人がいて、今回書かせてもらったような個人商店が本当に絶滅してしまっていたとしたら、きっと「こんな世界あったんだ。まるでユートピアだね」と受け止められるかもしれません。当然、私たちは生きていないでしょうし、未来のことはわかりませんが、そんなことにならないでほしいと祈るような気持ちです。

――これは淡い期待、根拠のない楽観的な予測かもしれませんが、この「絶滅危惧 個人商店」が、時も世代も超えた大切な人間の心根のリボーン(再生)の契機になる気がしています。再生とは生まれ変わること。たとえ同じ形で残らないにしても、井上さんが記録された店主の皆さんの「魂」は新たな世代に引き継がれ、おそらくきっと別のかたちで生き続けていくと信じたいです。たくさんのいいお話をありがとうございました。

「くださいな」と「ありがとう」の間に


いまどき、そんなことするわけないと笑われてしまうかもしれません。10年ひと昔といいますから、かれこれ5昔以上の話になります。生まれ育った町にはスーパーがなく、親にお使いを頼まれ向かったのは八百屋さんに肉屋さん、酒屋さん。お小遣いの10円玉をぎゅっと固く握りしめ、友と走っていったのは街角にぽつんとたたずむ駄菓子屋さんでした。お店に着いたら「くださいな」ないしは「くださぁ~い」と店主のおばさんやおじさん、お姉さんやお兄さんに声をかけます。それがだれに命じられたわけでもなく、自然と共有されていた習慣でした。そう書くと<ねえねぇなんなの?またまた昔はよかったという懐かし話なの?>と叱られ、呆(あき)れられるのは承知しています。ですが、少しだけお付き合い願えませんでしょうか。

さて、「ください」と呼ばわり、必要なものを手に入れた後に返ってくるのは「ありがとうね」で、ときには「毎度!」のやさしく元気な店の人の声でした。ただ、それだけではありません。そこに「えらいな。お使いかい」「お母さん元気?」「車に気を付けて帰るんだよ」という気遣いと労(ねぎら)いの一言が「オマケ」されてきました。まったくの後知恵ながら、あれは「物(マテリアル)」が「品(グッズ)」に変わった、目には見えない魂のような何かが「物」に乗り移り、違う「もの」に変わった瞬間だったような気がするのです。

ただ、それだけのことです。ですが、そのささやかなコミュニケーション(ふれあい)に、子どもながらに世の人情を感じ、妙にほっこりした気持ちになれたと記憶しています。といって、昔が良かった、コンビニやスーパー、通販よりも「個人商店」が断然いいなどと軽々に申し上げるつもりはありません。ただ、そういえば「買い手」と「売り手」が面と向かって言葉をやり取りし、互いに折り合いをつけながら納得づくで「もの」を手に入れる機会が大きく失われつつあるような思いにとらわれる機会が増えました。

 
近江商人は「買い手に売り手、さらに世間よし」の三方よしをモットーにしたと伝えられています。世間よしの言には暴利を狙ったアコギな商いをせず、買い手はもちろん売り手も損をしない文字通りハッピーな関係を培い、「よいもの」を世に数多く送り出して社会の価値観を組み替えていくという強い思いが込められている気がします。それがコンビニやスーパー、通販には無いと傲慢をかます気は毛頭ありませんし、いまある買い物空間を活用するのは理の当然でしょう。しかし、その一つの選択肢である個人商店、しかも素敵な小さな専門店が着実に姿を消しつつあるのは残念かつ寂しい気がしてなりません。

「絶滅危惧 個人商店」を読み終えたいま、まるで猛暑の夏の空気のなかに秋の涼しい空気が混ざり合うのを感じるとき、強く秋の到来を待ちながら、過ぎゆく夏をどこか惜しむような気持ちでいます。それは春を待つような思いでもあるような。実に味わい深い本との出会いでした。

商店主 名語録

●杉並区西荻窪・須田時計眼鏡店/須田喜八郎さん(取材時93)

「好きだねー。この仕事。こういう時代だから、そうそうは売れないけど、修理いっぱい持ち込まれるからね」

●板橋区ハッピーロード大山商店街・竹屋文房具店/岡田利子さん(同64)

「(どうしても)うーん、プラスチック製品が多いから、うちなんかでもやっぱりゴミを増やさないようにと思います。(ボールペンの)本体を持っていらっしゃるなら、替え芯を買ってくださるほうがうれしいですね」

●麻布十番商店街・コバヤシ玩具店/小林由枝さん(同45)

 「こちらの責任で万引きをやらせない店作りをしなきゃいけないので、それができていないからでしょう?万引きをやった子に『ごめんね』と思うんです」

以上はほんの「チラ見せ」です。紹介された18店の店主それぞれにハッとさせられ、ホロっとくる言葉があります。併せて、なるほどそうかもと感じ入る「ミニ知識」も満載です。良い生地で作ったジーパンはジッパーではなく、ボタンを使ったものが多いとか、薪を燃やして井戸水を沸かす銭湯のお湯は柔らかいなど。ちなみに当方は一六(いちろく)銀行が質屋さんの別称と初めて知りました。その心は1+6は7=質(しち)だそうで。もっとも江戸弁では「ひち」になるかもしれませんが……。

文/生活クラブ連合会 山田衛 撮影/魚本勝之



いのうえ・りつこ
1955年、奈良県生まれ。フリーライター。大阪を拠点に人物ルポ、旅や酒場などをテーマにした取材・執筆を手がけ、2010年に東京に移り住む。新潮社から『さいごの色街 飛田』、『葬送の仕事師たち』など現代社会における性や死をテーマに取り組んだノンフイクション作品を新潮社から刊行(のちに新潮文庫化)して話題に。近著に『絶滅危惧個人商店』(筑摩書房)、『師弟百景』(辰巳出版)がある。

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