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被災地発、命が最優先される社会の創造 公益財団法人「共生地域創造財団」


毎週日曜日に開かれる朝市。地域の憩いの場にもなっている

公益財団法人「共生地域創造財団(以下、財団)」は、生活クラブ連合会とグリーンコープ共同体、NPO法人「ホームレス支援全国ネットワーク」が協力し、東日本大震災の支援活動のため、2011年に設立された団体だ。震災直後から被災者に寄り添い、今日に至るまで復興にとどまらない支援を続けるが、23年度は新たに「福島支援」を方針のひとつに掲げた。震災から12年たつが、今、福島で求められる支援について聞いた。

見えない長期避難者

財団は東日本大震災が起こった時、3団体が単独で活動するより、それぞれの団体の強みを生かして共同するほうが支援の力を発揮できるという考えのもと、拠点・支援物資・資金・情報を共有する共同事業体として発足した。発災3日後から現地に入り、支援の手が行き届かないような小さな集落や在宅被災者を訪ねて、そこで出会った人に物資の提供や、がれきの撤去などの応援を行った。財団の支援は、被災者のもとへ出向き、日々の暮らしが戻るまで行政や民間の専門機関と連携しながら、一人一人の状況に合わせて実施するのが特長で、「伴走型支援」と呼ばれている。この被災者の自立・生活再建を支援する取り組みは、内閣府の災害ケースマネジメントの基本的考え方にも取り入れられた。

財団はこれまで宮城県石巻市や岩手県大船渡市、大槌町、陸前高田市に拠点を構えて活動してきた。22年度からは福島県に事務所を設けて活動を進める。

「福島第一原発の事故では現在も3万人を超える人が避難していますが、復興公営住宅で暮らす長期避難者は生活が安定したとみなされて避難者としてはカウントされていません。やむを得ず故郷を離れ、縁のない場所で暮らす長期避難者の現状が見えにくくなっているのです」と、財団福島事務所の豊田佳菜枝さんは語る。

岩手県や宮城県で津波によって家が壊れた人などが住む復興公営住宅は、ほとんどが同じ自治体内に建設された。しかし放射能汚染により全町避難などが行われた福島県の復興公営住宅の多くは、内陸部の他の自治体に建てられた。県中部の中通りと呼ばれる地域を車で走ると、突如として真新しい団地が現れる。

長期避難者が他の自治体にある復興公営住宅で暮らす理由は、元の住宅がすでに解体されている、医療や介護、買い物をする場所など生活環境がいまだに整っていない、放射能汚染に不安を感じるなどさまざまだ。一方、震災から月日がたつ中で周りの人からは「帰るか帰らないか、決めるべき」「補償金をもらっているのだから文句を言うべきでない」など、心ない声にさらされることもある。

「周囲の声に押しつぶされそうになり、困難を抱えていても『助けて』と言えない人がいると想定されます。復興公営住宅に住む人が安心して暮らせるように聞き取り調査をする必要があると思っています」と豊田さん。
福島では原発事故で帰宅困難地域となったエリア内の特定区域で、避難解除が進んでいる。そのため国の予算もマスコミの報道も、どうしてもそれらの地域に集中しがちだ。震災時から12年がたち復興公営住宅の入居者の平均年齢は68歳となり、単身世帯は半数を超える。復興住宅に暮らす人が孤立することがないよう、目を向けるべきという。

とはいえ辛抱強い人の多い土地柄のせいか、見知らぬ人にはなかなか心の内を明かさないので、聞き取り調査のハードルは高い。財団はまずは行政や社会福祉協議会、市民団体と連携して地域の相談窓口をまとめたマップをつくり、活動を通じて財団の周知を図っていく方針だ。とくにフードバンクは困窮者支援やフードロスの削減に力を発揮するが、生活再建などは財団が得意とする伴走型支援が有効なので、つながりを密にしていきたいと考えている。
 
財団福島事務所の豊田佳菜枝さん

値上げ続きで心配な生活

財団は福島支援として、これまで連携してきた団体を継続して支援していく。
浜通りの双葉郡に位置する葛尾村は原発事故で一時は、全村避難をした。財団が支援する一般社団法人の「葛力(かつりょく)創造舎」は、村に戻った約450人が幸せに暮らすことをめざして活動する。23年度は葛力創造舎と財団、村の再生に携わる行政、葛尾むらづくり公社、村民が月に一度、郷土料理などを楽しむ食事会を開く。そして村民から聞いたり、知恵を借りて葛尾村の花や動物、年中行事、農林水産業など良いところを歳時記としてまとめる予定だ。葛尾村には村づくりを担おうという積極的な人が多く、財団は「再生のモデル」ができればよいと考えている。

NPO法人「昭和横丁」は、原発事故により川内村から郡山市の仮設住宅に避難した高齢者を支えるために設立された団体だ。高齢者は村では田畑を耕しお金がほとんど必要ない生活を送っていたが、避難先では野菜など食べ物を買わなければならなかった。村に戻った今も田んぼの面積は半減し、自給自足の生活は難しい。昭和横丁は朝市などを行って栄養のある食品を安価で提供する活動を続けるが、最近の食品や光熱費の値上がりが高齢者の暮らしに影響を及ぼすことが不安視されている。

豊田さんは「朝市に来た人に暮らし向きを尋ねますが、表立った話をされるだけで、あまり入りこめていません」と言う。財団は引き続き昭和横丁を支援するとともに、朝市に参加して困りごとを抱えた人がいた場合は解決に向けた支援を行っていく構えだ。

誰もが認められる地域

東日本大震災の被災地だけではなく、財団は全国で災害のあった地域に向かい支援をしている。16年の熊本地震、18年の西日本豪雨、19年の台風19号被害、直近では22年の8月豪雨で福井県南越前町に行き、現地団体と連携して支援を行った。

財団事務局長の吉田菊恵さんは「災害支援はライフラインや住宅などのインフラが整えば終わりではありません。被災者の生活を一日でも早く元に戻すのが大切で、私たちにはそのノウハウがあります。各地に行って支援しながらそれを伝え、現地団体とネットワークを組んでいます」と話す。

各地で支援を進めていくと、高齢者や障害者、生活に困窮する人など、社会的に弱い立場にある人たちの就労や自立支援に行きつく。財団は単なる復興ではなく、「被災地からの共生地域の創造」をしたいと考えている。共生地域とは明確な定義はないが、「誰もが生き、暮らすことを地域に認められ、誰もが地域に貢献できて幸せを感じられること」だと吉田さんは語る。
 

財団事務局長の吉田菊恵さん
それは震災から10年が過ぎた頃から被災者が語るようになった、「命が一瞬で奪われるひどい経験をしたからこそ、誰でも命が大切にされる社会になってほしい」という願いと重なる。

財団に対し生活クラブ連合会は23年度、組合員による「災害復興支援カンパ基金」運営委員会の決定をもとに750万円を拠出し、支援することを決定した。基金は、組合員の復興支援カンパの残金をもとに管理運営されている。

撮影/魚本勝之
文/本紙・橋本 学
★『生活と自治』2023年6月号 「生活クラブ 夢の素描(デッサン)」を転載しました。
 
【2023年6月30日掲載】
 

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