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生協の食材宅配【生活クラブ】
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続く、鬼無里(きなさ)のものづくり 【えのき茸茶漬 他】


 
長野県産のきのこや山菜を使った「えのき茸茶漬」や「きのこと山菜炊込みご飯の素(もと)」は、生活クラブ連合会で扱う人気の消費材だ。だが、これらを生産していた長野森林組合鬼無里事業所は昨年、加工食品事業からの撤退を表明した。鬼無里で作られる消費材を利用し続けるにはどうすればいいか。長野県内の提携生産者と生活クラブ連合会は検討を重ね、2022年8月、新会社「鬼無里の杜(もり)」を設立、鬼無里事業所から事業を受け継ぎ、消費材の生産を続ける。

出会いは47年前

1967年、鬼無里村森林組合に建設された加工食品工場。ここを受け継ぎ、キノコや山菜を使った加工品を作る

長野市鬼無里は、同市戸隠と白馬村に接し、標高1,000メートルほどの開けた山間地にある。同市内より車で約30分。裾花(すそはな)川に添った道路をたどって行くと、森林と田畑に囲まれた山里の風景が広がる。1942年、鬼無里がまだ村だった頃、豊富な森林資源を利用し整備する目的で、ここに鬼無里村森林組合が設立された。

森林組合は製材工場を建設し、建材や、果物、魚などを輸送するための木箱などを製造した。その時大量に発生するおが粉の利用方法として考えられたのが、エノキダケの菌床栽培だった。森林組合の職員が、組合員におが粉を配りながら栽培方法を伝えた。鬼無里は雪深い地域で、11月下旬から降雪が始まり、雪解けは翌年の4月だ。仕事がない冬の間も室内でエノキダケの栽培ができ、家庭の経済が安定するようになった。

エノキダケの栽培は順調に進んだが、使い道の多くは鍋料理の材料であったため、暖かくなる4月には利用が減り、価格も下がった。そこで考えられたのがエノキダケの加工だ。67年、森林組合は加工食品工場を建設し、エノキダケを煮て味付けし瓶詰めにした「なめ茸茶漬」の製造を始めた。

鬼無里村森林組合が生活クラブと出会ったのは76年。77年より、保存料も化学調味料も使わず作る「えのき茸茶漬」の取り組みを始める。その後、「野沢菜漬」、国産のキノコや地元で採れる山菜を使った「きのこと山菜炊込みご飯の素」「五目ずしの素」など品目を増やしていった。

「鬼無里の杜」設立へ

2001年、長野市近隣の森林組合が合併し、長野森林組合が設立された。鬼無里村森林組合は鬼無里事業所となる。加工食品事業は継続されたが、消費者の米離れが進み、ご飯をおいしく食べるために利用されるきのこと山菜炊込みご飯の素などの消費は減っていった。価格や容量の変更は難しく、鬼無里事業所の食品部門の赤字経営が続き、長野森林組合は加工食品事業からの撤退を決めた。

「消費材をなくしてしまうのは簡単です。しかし、生活クラブと鬼無里の生産者が出会い、地域で生産される原料を使い無添加で作る食品を、たくさんの組合員が利用してきたという歴史があります。リユースびんを使う運動も共に進めてきました。消費材をめぐるさまざまな出会いが、背中を押してくれたのです」と話すのは、長野市にある生活クラブ連合会の提携生産者、マルモ青木味噌醬油醸造場の代表取締役社長の青木幸彦さん。

加工場で働く人たちの暮らしを守り、地域経済を維持していく必要性も痛感していた。重ねてきた生活クラブとの関係性もふまえ、鬼無里の杜設立を決意し、自ら鬼無里の杜代表取締役を引き受けた。
 
鬼無里の杜の代表取締役、青木幸彦さん。マルモ青木味噌醤油醸造場の代表取締役社長でもある。「私の父、生吉が、鬼無里村森林組合と生活クラブの橋渡しをしたという縁もあり、鬼無里の杜の設立を実現しようと思いました」

強力な仲間

鬼無里の杜設立に当たり、大きな力となったのは「ぐるっと長野地域協議会」の存在だ。生活クラブ連合会と提携する長野県内の生産者は、「長野親生会」として活動している。10年に、地域の資源を循環させることを目的として発足させたのが、ぐるっと長野地域協議会だ。

マルモ青木味噌がJAながのとJA上伊那の加工用米を原料にみそを造り、そばの生産者のおびなたが、JA上伊那のそばを使う。餃子の生産者の美勢商事は、地元、塩尻市のJA洗馬(せば)が提供する野菜を使うなど、地域内で資源を循環させる仕組み作りに取り組んでいる。

青木さんは、「この協議会の活動を通してお互いの信頼関係が築かれました。鬼無里事業所の所長だった戸谷さんが、ものづくりに対して誠実に取り組んでいることをみんなが知っていますよ」。鬼無里の杜設立へと向かった理由の一つだ。戸谷稔さんは現在、鬼無里の杜の事業部長を務める。「35歳の若い方から高齢の方まで13人の従業員が仕事を続けています」と喜ぶ。さらに、「加工食品工場が継続されるのは、森林組合の組合員にとってもとても喜ばしいことだと思います。自分たちも投資して長い間運営に関わってきた工場には、少なからず思い入れがありますから」。食品工場が地域で果たしてきた役割は大きいそうだ。
 
鬼無里の杜の事業部長、戸谷稔さん。「人手も材料も少なくなってきましたが、鬼無里で作ってきた消費材を、これからも作り続けていきたいと思っています」

着実な歩みを


鬼無里の杜設立により、消費材の生産は続き、雇用も存続することとなった。しかし戸谷さんは、これで問題が解決したとは思っていない。この地域は人口が減り続け、高齢化が進み、山菜などの原料を集める人も工場で働く人も少なくなっている現状にあるからだ。

鬼無里村森林組合が設立した頃、鬼無里村の人口は7,600人だったが、生活クラブと提携した77年は3,500人。2005年に長野市と合併後、鬼無里は、一気に過疎化、高齢化が進み、現在は1,100人を切っている。子どもの数も減り、3年後には小・中学校が廃校になる予定だ。

昨年秋より、生活クラブと提携した頃から続いていた野沢菜漬の取り組みを中止した。野沢菜を生産する人たちが高齢になり、安定的に原料が手に入らなくなったためだ。消費材の原料の野沢菜は、長野県野沢温泉村の在来種。「市販のタネでは一定品質にならず、浅漬けの野沢菜漬を作るのは難しいです。長い間、つきあいのある農家に在来種のタネを配り栽培してもらっていましたが、その作り手が減ってしまいました」と戸谷さん。

青木さんは、取り組み中止のもう一つの理由を「野沢菜は全国で栽培されています。だからといって他の場所で生産された野沢菜を取り寄せて作るのでは、消費材としての意味がありません。地域内で採れたものを原料に作ってこそ『野沢菜漬』なのですから」と言う。

さらに山菜炊込みご飯の素の原料確保も大きな課題だ。「原料のアザミやフキなどの山菜は、山に入って採らなくてはなりません。そういった人も少なくなりましたし、加工して生活クラブの需要に応える量を生産するための人手を確保できなくなりました」と戸谷さん。気候が変わり、山菜の収穫量も年々減った。「原料が足りなくなり、残念ですが、これからきのこと山菜炊込みご飯の素の製造は難しくなりそうです」と話す。

鬼無里の杜は、まず消費材の価格を見直し、以前とは生活様式が変わった生活クラブの組合員にとって、使い勝手のいい容量に変更する予定だ。アザミやフキ、ネマガリダケなど手に入りにくい原料にこだわらず、一年中生産可能なキノコ類を中心とした加工品を製造し、生産を安定させていく筋道を立てた。

「今は、以前と同じように原材料を集めることは困難です。消費材は変わらざるを得ませんが、生活クラブの組合員の皆さんと、10年後、20年後の地域の姿を描きながら事業を進めていきたいと思います」。青木さんと戸谷さんが口をそろえる。できるところから、着実な歩みを始めた鬼無里の杜だ。
鬼無里の杜の加工場。4月はフキノトウの収穫の時期。今年は暖かく、フキノトウの成長が早いため、加工に向くものの収量は少ない
 
鬼無里の杜の従業員、小池資晃(もとあき)さん。長野森林組合鬼無里事業所の加工工場で17年間働いた。「製造の仕事を続けることができて安心しました。これからも長野市から通います」
撮影/田嶋雅巳
文/伊澤小枝子

里の味は鬼無里から


「えのき茸茶漬」が誕生したのは1977年。同じようにエノキダケを煮付けた市販品は、一般に「なめ茸茶漬」の名前で売られている。エノキダケがナメタケと言われる理由はいくつかある。長野県にはエノキダケを「なめらっけ」と呼ぶ地域があること、エノキダケの傘の部分だけを水煮にして、ナメコのような形で販売されていたこと、煮込むと、ナメコのようなぬめりが出てくるからなどだ。

当時の生産者の鬼無里(きなさ)村森林組合も、同じ名前で生活クラブに提案したが、なめ茸はナメコを連想することと、原料はエノキダケであることを理由に、えのき茸茶漬という名前で取り組んだ。

10年後の87年、現在の「きのこと山菜炊込みご飯の素」の取り組みが始まる。アザミ、フキ、シイタケなど数種類の具材を調味料とかつおだしで煮込んだもので、米を炊く時に混ぜると手軽に炊き込みご飯ができる。

当時の組合員は、自分で素材を用意し調理するのが当たり前であるというような意識があり、「~の素(もと)」や「~の具」は敬遠されていた。現在、鬼無里の杜(もり)で事業部長を務める戸谷稔さんは「小さく(炊込みご飯用)と添え、『山菜味付煮』の名前で取り組んだところ、組合員数は17万人ぐらいでしたが、3万点もの申し込みがありましたよ」と振り返る。仕事や活動、子育てに忙しい毎日を送る組合員が増え、こういった消費材を待っていたのだと実感したそうだ。

さらに98年には、5種類の具材が入り、ご飯に混ぜると酢飯ができる「五目ずしの素」が誕生した。この頃にはもう、「~の素」や「~の具」という名前が付いた消費材は珍しくはなかった。
46年もの長い取り組みが続くえのき茸茶漬について、「えのき茸茶漬は使い道が限定されやすいですね」とは、マルモ青木味噌醤油(みそしょうゆ)醸造場の青木孔之介(こうのすけ)さん。鬼無里の杜の営業も担当し、各地の組合員と交流する機会も多い。「そのままご飯にのせて食べてもおいしいし、卵焼きの具に使えます。パスタのソースにもできる万能な、えのき茸茶漬です」。名前にとらわれないいろいろな食べ方を提案していきたいと言う。

「鬼無里」という地名には、語り継がれる伝説がいくつかある。その一つが「鬼女伝説」だ。昔、鬼無里が水無瀬と呼ばれていた頃、京から流されてきた紅葉という高貴な女性が華美な生活を送っていた。京をしのび近隣の里に「東京(ひがしきょう)」「西京(にしきょう)」などの名前を付け暮らしていたが、京へ帰ろうとした時、時の権力が紅葉を鬼に仕立て、討ち取ってしまう。その時から水無瀬は鬼のいない里(鬼無里)と呼ばれるようになった、と言われる。

鬼無里から長野市戸隠へ向かうには、大望峠を越える。大望峠からは鬼無里を囲む山々の向こうに北アルプスを望むことができる。山懐に抱かれるような鬼無里の里で、長い間変わらず作られる消費材がある。

青木孔之介さん。「鬼無里の歴史と消費材の活用方法を、どんどん伝えていきます」
撮影/田嶋雅巳
文/伊澤小枝子
 『生活と自治』2023年6月号「新連載 ものづくり最前線 いま、生産者は」を転載しました。
 
【2023年6月20日掲載】
 

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