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浜に吹く風――37歳漁師の胸中――

【寄稿】福岡県宗像市鐘崎漁協 権田幸祐さん


岩礁に海藻が生えない「砂漠化」が進み、ウニや貝類の漁獲量が減少。これまでは取れなかった魚が数多く水揚げされる一方、取れた魚がまったく取れなくなったという話を頻繁に耳にするようになってきました。そうしたなか、日本の沿岸漁業者の暮らしはどうなっているのでしょうか。この問いに福岡県宗像市にある鐘崎漁協の若手漁師の権田幸祐さんが応えてくれました。

漁師になって20年。保育士の妻がいてくれるから

福岡県宗像市鐘崎の先祖代々続いてきた漁師の家系の長男に生まれ、わたしは自身も漁師となる道を選びました。鐘崎は古くから栄えた漁業の町で、沿岸漁業を中心とする漁港です。現在、わたしは6つの漁港が合併して設立された宗像漁業協同組合に所属し、その6漁港のなかで組合員数が約240人と最も多い鐘崎漁港で漁業に取り組んでいます。

夏場は「巻き網漁」、冬場は「延縄漁」の船に乗り組み、生活の糧を得ています。主な漁場は玄界灘で、巻き網ではアジやサバ、延縄ではトラフグを中心に水揚げしています。鐘崎の浜の漁師の間ではまだまだ「若手」と呼ばれていますが、漁師になってからかれこれ20年が過ぎました。どうにかこうにか漁師として生きることができ、結婚して2人の子どもを授かり、その上でまだ好きな漁を続けられるのは、保育士として家計の半分以上を支えてくれている妻の存在がとても大きいと思っています。
 

鐘崎港は後継者率の高い漁村としてマスメディアに取り上げられることが多く、巻き網船団を中心に毎年10人くらい新規就労者を受け入れれています。しかし、わたしのように家業を継いで漁師になる地元の若者は、わたしが初めて漁に出るようになった20年前に比べると年々減ってきており、今年37歳になったわたしの世代の地元漁師は数えるほどになりました。鐘崎で先祖代々漁を営んできた家系の子どもたちは漁業の衰退が漁村の衰退にも直結するという沿岸漁業の側面を一番身近に感じている分、漁業以外の職業を選択するケースが多いのが実情なのです。

漁村で生まれ育ったわたしも家業を継ぐのが当たり前という空気のなかに身を置いていましたが、「これからの漁業は本当に大変だから、たくさん勉強して漁師以外のこともできる大人になりなさい」と周囲から言われていました。それは古い時代から継承されてきた習わしや伝統の継続が難しくなるなか、いまの姿のままで漁業が継続されてくのは困難だと切実に考えられていたことを意味すると思います。

「陸(おか)あがり」の要因は収入確保の難しさ

わたしは子どもの頃から漁村の暮らしが本当に大好きでした。父が取ってきた魚が食卓に並び、それを家族皆で囲む時間はとても幸せで、父の誇らしさを一緒に噛み締めながら食べるご飯は格別でした。「お裾分け」として近所の農家に魚を持っていけば、先方が喜ぶ顔を身近で見ることもでき、農家からは「お返し」にと作物をもらうようなことも多く、毎日の「食」には困らないどころか、とてもぜいたくな思いをさせてもらっていました。周囲には遊び仲間の子どもも多く、親が諸用で不在のときは近所に世話になるなど、地域全体で食事の世話や子育てを分担しあう漁村の暮らしは、地域の皆が幸せに暮らせる良い仕組みで「お互いさま」の文化が生きていました。こうした漁村の暮らしも、わたしが漁師という仕事に魅力を感じた要因の一つです。
 

しかし、長年一緒に誇りを持って漁師を続けてきた仲間が結婚を機に漁師をやめて「陸あがり」するようになってきました。家族で暮らしていくため、生きていくための収入確保という現実問題が重苦しくのしかかり、人生の選択を迫るのだとわたしは切実に受け止めています。低迷する魚価と就労所不足、気候変動に海洋汚染問題、原因不明の資源枯渇など漁業を取り巻く問題はどれも深刻です。自分の将来を少しでも考えるのであれば、若い世代ほど「漁業から早く足を洗った方が良い」と考えてしまうのは当然かもしれません。

それでも漁業で生きていきたいと思えるのは、目標となる先輩漁師が身近にいてくれるからです。人一倍漁が上手な人、魚の鮮度管理に見事な手腕を発揮する人、原料調達から加工までの6次産業化にチャレンジし、成功している人もいます。このように皆の目標となり、自分もがんばろうというモチベーションを与えてくれる存在に支えられています。しかし、着実に漁業は衰退しているのは残念ながら事実であり、わたしが漁師になってからの20年間、本当に魚価は上がるどころか下がり続けています。

失われつつある取る者、売る者、買う者の「共存」

とかく「安さ」だけが求められがちな世の中ですが、わたしたち漁業者がどんなにコストカットに努めてもいかんともできないことが多々あります。燃油代や漁具などの価格上昇分を魚価に反映できなければ漁業者の収入は目減りし、漁業の継続は困難になっていくばかりです。この厳しい現実を漁村に息づく「助け合いの精神」と「お互いさま」の文化の力で補いながら、わたしたちは漁師として生きることを断念せずに済みました。沿岸漁業の衰退を漁村という共同体の力で何とか食い止めてきたわけですが、それも困難になりつつあるのが現実です。わたしが暮らす鐘崎のみならず、日本各地の漁村の存続が難しくなれば、津々浦々の文化や伝統、そこに暮らす人々の日常から生まれた旬の特産品や伝統料理といった各地の食文化や地元に対する誇りがボロボロと崩れ去ってしまう恐れもあります。
 

周囲を海に囲まれた日本では、もともと漁業と人の暮らしは不即不離の関係にあり、魚を取る者、運んで売る者、買う者など漁業に関わるいろいろな立場の人々が互いに幸せに暮らせる仕組みを編み出し、気が遠くなるくらい長期にわたって漁業とともに生きてきました。さて、現在はどうでしょう。魚を取る者、売る者、買う者の関係は「共存」と呼ぶにはほど遠いものになってしまいました。まさに日本の沿岸漁業は危機的状況に置かれているといえるでしょう。

(権田さんの寄稿は3回に分けて掲載します)

撮影/魚本勝之

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