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ファーストフードの支配から抜け出すには


建国からの米国史を「食」の視点から捉え直し、今後の米国のゆくえを探る慶応義塾大学教授の鈴木透さん。そんな独特なアプローチから見えてきたものについて聞いた。

実は多様だった米国の「食」

――「食の実験場アメリカ ファーストフード帝国のゆくえ」(中公新書)を拝読しました。建国から今日に至る米国の歴史を食の変遷という視点から捉え直すという試みに考えさせられること大でしたし、もともと移民の国として誕生した多民族国家米国の強さは「多様性」にこそ存することを説かれた一冊だと感じました。米国の歴史を食の視点から見直してみようと考えられたのはなぜですか。

「米国的な想像力や創造力とは何か」を解明するのが、私の研究テーマです。ですから、米国で独特な形に発展した文化領域であれば、何でも考察の対象であり、食をテーマとする前はスポーツの本を書きました。映画の本も書いています。今回は、ファーストフードという独特な食の形を生み出した米国の食文化史に注目し、食からこの国の特質や動向に迫ってみたのです。

米国の食について調べていくと、先住民や黒人奴隷など、非西洋の食の伝統ぬきに語れないことがわかります。これは紛れもない歴史的事実なのですが、現代では米国で暮らす普通の人たちの意識からは消えてしまっています。そうした食文化史上の忘れられた記憶を米国民が思い起こせるかどうかは、今後のアメリカのゆくえにも少なからぬ影響を与えると思います。

黒人初のオバマ大統領の誕生で加速するかに見えた集団統合は、トランプ政権の移民排斥で冷や水を浴びせられました。移民を敵視するトランプ大統領の姿勢が危ういのは、「米国は白人がつくった国」という錯覚を助長しかねないからです。

先住民や黒人奴隷、各国からの移民がいなければ、米国を代表する食べ物の多くは誕生しなかったことでしょう。ポップコーンやバーベキュー、フライドチキンやハンバーガーすら、存在しないかもしれないのです。自分たちがいかに多様な集団の遺産を異種混交的に共有財産化してきたかに、身近な食べ物を通じて気付くことができれば、安易な移民排斥、マイノリティ排斥に歯止めをかけられる可能性は高まるでしょう」

ファーストフードビジネスの誕生

――多様であることの良さと強さを取り入れて発展してきた米国の食は、先住民をはじめ、ヨーロッパからの移民、奴隷として連れて来られたアフリカの人びとが持ち込んだ素材や味付けが融合したもので、まさに多元的だったということですが、それが一元化されていったのはなぜですか。

「米国が産業社会へ移行した後に横行した営利第一主義、効率優先主義が大きな理由でしょう。食を単なるビジネスの道具として捉え、どう作って、どう売れば最も儲かるのかが中心課題になっていき、米国の食文化が持っていた豊かな背景、創造性や実験精神がだんだんと目に見えなくなっていったのです。

米国では20世期初頭に食の安全に対する意識が高まりましたが、台所が進化すると多くの消費者が食べ物は安全だと錯覚し、供給側がどのように食べ物を作っているかについての関心が低下してしまいました。そこにつけ込むかたちで、ファーストフードの営利第一主義が肥大化しました。こうして一度は旺盛になった食の安全への意識が急速に衰え、それを再び復活させたのが1960年代のヒッピーたちです。

食のヘルシー志向や自然食志向は明らかにヒッピーたちにルーツがありますし、ある意味、それらは彼らの真似です。環境保護や消費者保護の思想に触発されたヒッピーたちは、産業社会の営利第一主義がもたらす弊害に目を向け、まずは身近な食のあり方から変えようとしました。有機農業や菜食主義を実践し、それが現代の自然食ブームへとつながったのです。

米国でファーストフードが普及していくのは戦後の1950年代で、明らかに自動車社会の幕開けと関係があります。移動中の車のなかで、どうやって手軽に食べるかが問われたのです。当時は順応主義の時代といわれ、約60%が中流階級に到達したとされました。だれもが豊かさを実感でき、他人と同じ程度豊かであれば、社会が問題を抱えていても、見て見ぬふりをする日和見主義の風潮が強かったのです。

他人と同じものを食べることは、人々にある種の安心感を与えるし、豊かな社会にいる証拠でもあります。50年代は本格的な自動車時代の始まりであり、ロードサイドビジネスとしてのファーストフードは、安くて早い、優れものだったのです。それは、技術革新と食の効率化という進歩の賜物と考えられ、食の画一化の弊害や食の安全について、人々は深くは考えてはいませんでした。そこには、ファーストフードを押し付けられたという感覚はなく、だれもが自然に受け入れていたわけです。

ファーストフードが奪うのは――

マクドナルドの最初の店にはテーブルがありません。買ったものをどこで食べるかというと車中です。ですから、だれもが贅沢さを求めていたわけではなく、早くすぐ出てきて、安くて、車の中で食事を済ませられれば余計な時間を使わずに済むという利便性と効率の良さに人は魅了されたといえるでしょう。
対してヒッピーたちの食文化革命は、いわばカウンターカルチャーで反体制的な運動。その拠点になったのは基本的に大学です。カリフォルニアでは、カルフォルニア大学バークレー校、東海岸では「いちご白書」という映画にあったコロンビア大学。ヒッピーには裕福な白人家庭出身者が多く、親は50年代の順応主義に毒されていて事なかれ主義で、まだ世の中にはいろいろと問題があるのに、そこから逃げているように若者からは見える存在でした。

そして60年代には、裕福な家庭に生まれ、有名大学に進んだ子どもたちがヒッピー化していく。彼らの有機農業は、経験不足から成功しませんでしたが、80年代になるとその精神は、地域住民が小規模農家に有機栽培を委託する、CSA(地域支援型農業=Comunity Suppoted Agriculture)へと受け継がれます。このCSAの仕組みは、日本国内における生活クラブ生協の産地提携をモデルにしたものといわれ、少しずつではありますが米国各地に広がってきています。

ただし、いまのコミュニティ(C)・サポーテッド(S)・アグリカルチャー(A)は地域の全階層の人を巻き込んだものとはいえず、意識が高く一定水準以上の経済力のある人たちが組んで、化学肥料や農薬を使用しない農産物を消費者と生産者双方の行動によって手に入れていこうという段階にあるのが実態であり、それが真にコミュニティ全体を巻き込む域にまで発展できるかが問われていると思います。

こうしたなか、ファーストフードへの依存がもたらす健康上のリスクに対する不安が高まってきたのですが、有機食品は価格が割高で買う余裕がなく、ファーストフードで済まさざるを得ない人が現実に存在しているわけです。いまは一部の人たちが「もうファーストフードの世話にならない。自分たちで作物をつくろう」と動き始めた段階にあるわけですが、その流れをファーストフード業界としても無視できないでしょう。


ファーストフードを栄えさせるには、単一作物の大量生産によるコスト引き下げを永遠にやっていかなければなりません。そうしなければ低価格を維持できないからです。遺伝子組み換え種子や農薬、大量の化学肥料使って、単一の作物を効率よく大量生産するシステムにファーストフードは依存してきたわけですが、それは米国の農業を大きく変えてしまいました。

これは明らかに生態系に負荷をかける作物の作り方であり、ハンバーガーの値段を下げることには貢献しても、生態系への影響や土壌汚染によって土地改良が必要になれば、深刻な環境破壊とばく大なコスト負担をもたらすことにつながります。農業のかたちが変わらないとファーストフードの支配は本当の意味で終わらないのです。

儲かる農業、効率のいい農業と決別し、儲からないし非効率的かもしれないが、安全なものを作って環境を守っていきましょうという価値観が、より支配的になっていけば流れは大きく変わります。食べ物の安さを売りにしたビジネスが巨大な存在として君臨する時代を超えていくための農業を、目指す必要があると思いますね。

もう一つ強調しておきたいのは、自分たちがどんな集団で、どんな軌跡を辿ってきたのだろうという点を認識するうえで、自国の食文化を再認識することの意味です。食の歴史を見ていくと、多様な人が持ち込んだものを共有財産化して、自分たちそのものが異種混交的にできていることがわかります。

たとえば米国を例にすれば、黒人、先住民と区別することにあまり意味がなく、混ざっているのが自分たちだと再認識できるわけです。そのような異種混交性が自分たちの財産だとしたら、それをファーストフードによっていかに失い、農業の危機や環境破壊のリスクまで招いたかを、食文化史は教えてくれるのです」

――日本についてはどうですか。

「私たちはカレーを食べ、ラーメン食べて、パスタを食べている。なんでそういうことになったのでしょうか。そこを紐解くとき、私たちはいかに外からの恩恵を共有財産化してきたかに気づくとともに、自分たちの正体をあらためて見つめ直すことができるでしょう。と同時に、食べ物の変化から、私たちは何を得、何を失ったのか、そして、食を変えることで社会はどう変わりうるかも見えてくる。食文化史は、新たな未来へのヒントを提供してくれます。

その選択肢の一つが先にお話しした地域支援型農業、CSA。地域一体となって小規模農家の生活を支えながら有機農業を広めようという産地提携の一形態です。消費者と生産者がグループを作って作物の生産を支え、できた農産物を共同購入するという生活クラブ生協がモデルとなった仕組みです。それは農地で単作をするのではなく、有機農法で多品種を育て、環境を守るという発想と結びついています。それを意識的に米国のCSAの一歩先をいくものにしていければ素晴らしいと思いますね。
すずき・とおる
1964年生まれ。慶應大学法学部教授。アメリカ文化研究と現代アメリカ論専攻。著書に『性と暴力のアメリカ―理念専攻国家の矛盾と苦悶』(中公新書)『スポーツ国家アメリカ―民主主義と巨大ビジネスのはざまで』(中公新書)などがある。

撮影/魚本勝之   聞き手/生活クラブ連合会 山田衛

【2020年2月10日掲載】

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