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生産効率至上主義の輸入牛肉 牛の健康最優先で対抗【北海道チクレン】


生活クラブ連合会は、組合員が共同購入する「消費材」が、いかなる社会的な課題の解決を目指したものかをわかりやすく示す「生活クラブの消費材10原則」を2017年に策定した。今号では第一原則の「安全性を追求します」や第三原則の「国内の自給力を高めます」を具体化した牛肉の共同購入で提携関係にある北海道チクレン農業協同組合連合会との出会いから現在までの歩みを同農協連合会前理事長の貞廣修さんと生活クラブ連合会加藤好一会長理事に振り返ってもらった。
貞廣修(さだひろ・おさむ
1977年、北海道チクレン農協連合会入職。82年、北海道畜産農協に出向し、生活クラブ生協との提携に尽力。牛海綿状脳症(BSE)に揺れる2003年、同連合会参事に就任。2010年から同連合会理事長を務める。2019年、理事長退任。同年8月、㈱北海道チクレンミート社長に就任。65歳。
加藤好一(かとう・こういち)
1980年、生活クラブ神奈川入職。91年、生活クラブ生協発のコミュニティクラブ(デポー事業単協)専務理事就任。96年に生活クラブ連合会に異動。計画部長(現・事業本部長)として遺伝子組み換え食品対策を指揮。2000年に同連合会専務理事。2007年から同連合会会長理事。63歳。

苦戦続きの古平牧場再建

加藤 北海道チクレン農業協同組合連合会(以下、チクレン)の設立は1974年。前身は終戦後の45年に食料増産を目的に政府が推進した開拓事業を担う協同組合「開拓農協連合会」でしたよね。

生活クラブがチクレンと出会い、提携する契機となったのが、積丹半島の古平町に生活クラブが79年に建設した「古平牧場」。この年、生協設立10周年を迎えた生活クラブは記念事業として、千葉県の酪農家と協同出資による自前の牛乳工場建設、山梨県河口湖町での組合員余暇施設の「協同村」建設、北海道古平町では牛や豚を放牧し、家畜のし尿を活用した畑作と畜産の複合経営である「耕畜連携」で食料を生産する古平牧場を建設しました。

この計画が提案されたのは78年5月の総代会。当時の組合員数は2万6,364人で年間供給高が51億7,092万円とされています。こうしたなか、牛乳工場建設に1億7,000万円、協同村の第一期建設工事費に6,000万円、古平牧場に1億1,000万円、総額3億4,000万円もの投資をしたのです。岩根邦雄・生活クラブ理事長(当時)は、古平牧場を「施しではない福祉の場」とし、地元の障害者に働く場を提供する「古平共働の家」を併設する構想を提案。組合員が主体的にカンパ活動を担い、1億円超の建設資金を集める「離れ業」をやってのけました。

貞廣 わたしがチクレンに入職したのは77年。駆け出しの身でしたから、詳細こそ覚えていませんが、古平牧場の運営をめぐり、生活クラブが尋常ではない苦労をしているのは先輩から聞いていました。

生活クラブと正式に契約し、牛肉の共同購入を開始したのは82年。いまや37年が過ぎ、当時の事情を知るのはチクレンではわたし一人ですよ。古平牧場の事業支援を引き継いだとき、累積赤字が3億円と聞いて心底驚いたのが忘れられません。

古平牧場の事業責任者だった河野栄次さん(現・生活クラブ連合会顧問)は現地に来るたび「毎日朝起きたら三十数万円の赤字。おちおち眠ってなんかいられない」が口癖でした。その事業をチクレンが引き継いだ後、借入金総額は最高5億円になっていました。

開拓農協の心意気

加藤 当時、生活クラブは東京、神奈川、埼玉へと広がり、この3生協が古平牧場に出資していた事実も重かった。そんな瀕死ひんしの事業を軌道に乗せ、借金の返済能力をつけるという最も厄介な課題に、チクレンさんにはともに向き合っていただき、お力添えを頂戴したことに感謝申し上げたいです。

貞廣 わたしたちも古平牧場の課題を共有し、その解決をともに目指したことで生活クラブとの提携関係が深まったのです。古平牧場を媒介に、すばらしい生活クラブの皆さんと交流を重ねられ、ここまでこられたと、逆にありがたい気持ちでいっぱいですよ。

加藤 そういっていただけると重い荷が肩から下りた気がします。おかげさまで生活クラブ生協設立50年となった2018年までに、古平牧場の負債は完済できました。

貞廣 それこそ生活クラブのみなさんの利用結集運動のたまもの。生活クラブの組合員がチクレンの牛肉を共同購入してくれたからこそ、つまり「食」の国内自給率を向上させ続けたことが、借入金の返済にも結びついたと思います。

ここで、改めて明治期以降の北海道開拓の歴史について触れさせてください。当時、北海道に初めてやってきた開拓者たちは、戦後も条件のいい土地で畑作や酪農、畜産ができました。ですが、1945年以降に北海道に来た開拓者には、すでに条件が良くないだけでなく、狭い土地しか残されていなかったのです。

その土地を黙々と耕し、牛のえさを自給しながら彼らは搾乳し、牛肉の生産出荷に励んだのです。えさは粗飼料の牧草ですが、土地がやせているから穀物や野菜が育たず、栽培できるのは牧草だけだったというのが実際のところでしょう。

だから、やむを得ず牛を飼ってきた。それで酪農家になった人もいれば、畑作を続けながら酪農家が飼っていた乳牛のオスの子牛をあえて育て、肉用に出荷する農家も出てきたのです。そんな歴史的な体験が生活クラブの直面した古平牧場の深刻な経営問題の解決に「よし、力を貸そう」となったのでしょうね。

加藤 開拓農協に参加したのは満州や朝鮮半島から、命からがら帰国してきた人たちですよね。

貞廣 660万人くらいかな。そのうち戦後開拓に取り組んだのは21万1,000戸で、72年まで政府も開拓を推進していました。北海道に来たのは41年から71年までに4万5,000戸。とにかく外地や戦地から帰還する660万人を受け入れる雇用確保の問題と食べるものがないという事情から、入植が進められました。

加藤 チクレンで最初に肉牛生産を始めたのはどこでしたか。

貞廣 足寄あしょろでしょうね。足寄町開拓農協では、1960年代にホルスタインの肥育事業が始まっていましたが、多くはホルスタインのオスを去勢し生後6カ月間ほど育て、全国開拓農協連合会(全開連)に素牛(もとうし)として出荷していました。これがオイルショックの影響で素牛の受け入れが一時完全にストップ。やむなく肥育まで行うことになり、一貫肥育事業を行う農家が一気に増えました。80年代には、足寄の開拓農家は7,000頭という日本一の頭数を肥育していました。

独自の配合でつくられる粗飼料主体の飼料、何より牛の健康を考えた肥育から「赤身主体の牛肉」が生まれる

当初から「生産履歴」を開示

貞廣 当時、肥育牛を内蔵と頭を取り除いた半身の枝肉にして販売していました。そうしたなか、当時専務だった田端勝美さんが「ただ、できあがった枝肉を売るだけでは将来性がない。せっかく組合員が精魂込めて育てた牛肉なのだから、自分たちでと畜と精肉加工をしてから出荷すれば、もっと組合員に利益を還元できる。おまけに自分たちの牛肉に自分たちで価格が設定できるはず」と主張したのです。

それが82年からの生活クラブとの提携の起点となり、粗飼料中心の肥育を奨励し、増体効果を高める目的のホルモン剤や抗生物質を牛に投与せずに肥育したホルスタインの去勢牛を自前でと畜。枝肉から部位別の肉に加工し、それがどの農家が出荷した牛の肉であるかを把握し市場に出荷するチクレン独自の仕組みの確立にもつながりました。

加藤 82年には、いまでこそ社会に浸透した生産履歴追跡(トレーサビリティー)の基礎が確立されようとしていたのですね。ところで、乳肉一貫政策をとるチクレンがアンガス種という肉専用種を導入したのはいつですか。

貞廣 やはり82年ですよ。古平牧場も粗飼料主体の肥育を目指してアンガス種を導入したのですが、アワヨトウ(ガの幼虫)の大発生で、牧草がなくなったのを機に、古平のアンガス種をチクレン会員の雄武町畜産農協に移しました。現在も生活クラブの組合員が雄武で育ったアンガス種の肉を共同購入してくれています。

いずれにせよ、最も重要なのは「健康」な牛を育てること。チクレン組合員の農家は、成長ホルモン剤はもとより、抗生物質を乱用したりしません。それは農家にとっては過酷な選択でもあります。

牛が不慮の事故や病気で命を落としたとき、と畜に出すのが農家には一番つらい瞬間なのです。異口同音に「それさえなければ、ストレスが大分違う」と言いますよ。それでもチクレンの組合員農家は無投薬かつ成長ホルモン・フリーの丁寧かつ手間のかかる肥育を続け、素晴らしい肥育技術を確立し続けてくれています。彼らの胸中には「薬漬けの輸入肉と品質で勝負し、絶対勝ちたい」という闘志がみなぎっているはずです。

自由貿易協定の荒波が――

貞廣 2001年に国内初の牛海綿状脳症(BSE)感染牛が日本でも確認された後、チクレン以外の生産農家からも「肉骨粉なんて食わせるから、こんなことになった。俺たちは牛を健康に育てる、牛の生理に適した肥育をするという原点に何度でも立ち返ろう」という声が自然と出て、法的に使用が認められている「モネンシン」という薬剤の使用もやめようという方向に話が進みました。でも、多くは十分な肥育成績を達成できず元の肥育方法に落ち着いたようです。

加藤 BSE騒動といえば、自分が共同購入している牛肉は農場から食卓までの流れが完全に把握でき、部位別の肉から、だれが、どこで、どう肥育した肉かが「丸わかり」だと知っているであろうはずの生活クラブの組合員の半数が、牛肉の利用を控えたという事実を軽視するわけにはいきません。その意味ではこちらの情報共有努力の不足を反省するしかないと思っています。

貞廣 いやいや、生活クラブ以外は完全にオーダーストップの取引先もあり、前年比でマイナス70パーセントが当たり前でしたから、これに比べ生活クラブの利用回復は早かったこともあって、こちらとしては、「生活クラブの組合員のみなさん、ありがとうございます」のひとことにつきます。

加藤 今後、世界の食料情勢は地域紛争や気候変動などの関係で不透明極まるなか、北海道チクレンが真剣に取り組んでこられた国内の酪農と畜産を守り育てる事業の大切さは増すばかりでしょう。もはや簡単に「輸入品はだめじゃないか」とはいえない時代なのです。

そうしたなか、安倍政権が相次いで締結する11カ国による環太平洋連携協定(TPP11)や日欧の経済連携協定(EPA)などの自由貿易協定が日本の「食」の生産基盤を破壊しようとしています。すでに自由貿易協定締結国からの特産物や乳製品の日本向け輸出は急増していますし、日米2国間通商条約の行方も気になります。

これら一連の動きの根底には「いまだけ」「カネだけ」「自分だけ」と東京大学教授の鈴木宣弘さんが再三指摘している価値観に染まった新自由主義の考え方が色濃い。だからこそ、いま提携産地と連携し、この動きに真っ向から立ち向かうのが協同組合たるものの使命と思っています。

貞廣 同感です。わたしたちとともにある組合員農家は家族経営の小農です。彼らの自立と小農の連帯が日本の「食」を守ってきたし、いまも最後のとりでになっています。

この間はデフレ経済による価格引き下げ圧力と、BSE以後の牛肉離れの影響が農家の経営を圧迫するなか、バイオテクノロジーの進歩により雌雄産み分けが可能となりました。もはや遺伝子組み換え(GM)技術やゲノム編集に依拠しない簡便な方法で、人間が他の生物の雌雄を決める時代に突入したと今年8月14日付の日本農業新聞が報じています。

こうした動きがホルスタインのオス牛の大幅な産出減少や子牛価格が数年前の3倍を超えるという状況が固定化される要因にもなっているのです。

厳しい、本当に厳しい状況ですが「わたしたちの牛肉を待っていてくれる生活クラブの組合員がいるかぎりは」と生産農家は歯を食いしばって頑張ってくれています。このことだけは何としても忘れないでいてください。
生活クラブと提携する生産者間の協同のたまもののミートソース。
牛肉100パーセントのコンビーフは現在も貴重品だ
撮影/魚本勝之   文/本紙・山田 衛
『生活と自治』2019年10月号「新連載 産地提携の半世紀」を転載しました。

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