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生協の食材宅配【生活クラブ】
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「踏まなきゃ出ない」から生まれた信頼関係【ヱスケー石鹸】


1968年に設立され、「生き方を変えよう!」「加害者になるのをやめよう!」と社会に訴えてきた生活クラブ生協は、この半世紀の組合員活動と事業運営の基本理念をコンパクトにまとめた「生活クラブの消費材(共同購入品)10原則」を策定。第6原則で「有害化学物質を削減します」と宣言した。その原点には洗濯用「粉せっけん」の生産者であるヱスケー石鹸との提携がある。

石油ショックで注文殺到


「疑わしきは使用せず」の予防原則に立ち、人の健康を脅かし環境を破壊する恐れがある化学物質の使用を減らし、それらの環境への放出を削減する。これが「生活クラブの消費材10原則」の第6原則に盛り込まれた理念だ。

この原点は1974年1月に生活クラブ独自開発品(Sマーク認定品)第2号に認定されたヱスケー石鹸の洗濯用「粉石けん(1袋3.5キロ入り)」の共同購入と組合員の主体的な利用促進活動にある。

ヱスケー石鹸と生活クラブの出会いは73年7月。ヱスケーブランドの「親子スワン(粉せっけん)」の共同購入がはじまりだ。当時、同社の営業部長だった倉橋六郎さんが、妻の実家がある世田谷の豪徳寺の近くに住んでいたこともあり、近所の評判などから生活クラブ生協の運動と事業に興味を抱いたのが契機となった。
「叔母は石けんの利用を社会に提案する運動にすっかりほれ込み、『とにかく応援しなくちゃね』が口癖でした。そのうち叔父の六郎が赤堤にある本部に自ら頻繁に顔を出すようになり、生活クラブとご縁ができたようです」と話すのはヱスケー石鹸社長の倉橋公二さん(67)だ。

同社の創業は1918年。東京の北区東十条でクリーニング店などに納める業務用石けんの製造を続け、後に工場を埼玉県川口市に移転した。父の後を継ぎ、4代目の社長となった公二さんの入社は74年、生活クラブと提携して間もないころだった。

生活クラブは69年から日本生協連の合成洗剤「コープセフター」を共同購入していたが、これを74年にヱスケー石鹸と独自開発したSマーク品の「粉せっけん」に全面的に切り替えた。この背景にはイスラエルとアラブ諸国間の第4次中東戦争の影響で、産油国が大幅減産に踏み切り、世界的に原油供給が滞るという「石油ショック」があった。

「洗剤が買えなくなると大騒動になったころです。いくら作っても粉石けんは売れました。会社の始業前から大型トラックが工場に何台も横付けされ、出荷に追われていると、叔父(六郎さん)が『とにかく生活クラブ最優先で出荷してくれ』と社員に盛んに声をかけていたのを覚えています」と公二さんは当時を振り返る。
「常に石けんづくりの匠(たくみ)を目指して生きてきた」とヱスケー石鹸4代目社長の倉橋公二さんは言う


埼玉県川口市の石けん工場

石けん専用スプレータワーを

石けんの原料は動植物性の油脂だが、合成洗剤は石油のなかのナフサや灯油、軽油を原料に精製される。だから石油が調達できなくなれば、合成洗剤は製造ができず、出荷もできない。これが「洗剤が消える」とされた理由だ。とはいえ、石けんの原料油脂は食用にも使われるため、食料需給がひっ迫すると、その調達が困難となる。ただし、合成洗剤の成分には自然界での分解速度が石けんよりも遅く、環境に残留する期間が長いという問題がある。
小売店から「洗剤が無くなりそう」と聞けば、余計に欲しくなるのが人情だが、石油パニックが収束し、小売店に合成洗剤が並ぶようになると、生活クラブの組合員の粉石けんの利用率は、あたかも潮が引くように最盛期の10分の1の水準まで減ってしまった。

この事態を何とか挽回しようと組合員は粉石けんの使い方講習会を開催、「換気扇洗い」を実演するなどの「石けん運動」に取り組み、東京都や各自治体に「合成洗剤追放を求める請願」のための署名活動を展開した。

粉石けんの利用低減の背景には、利便性が高くて価格も手頃な洗剤を求める消費者心理と「低温では洗浄力が出にくい」「溶けにくい」「石けんカス(水に含まれる金属イオンと結合した不溶性せっけん)が出る」という粉石けん固有の課題への抵抗感がある。さらに生活クラブと提携するまで、ヱスケー石鹸は高温洗浄で使用する業務用石けん以外の製造を手がけてこなかったという事情もあった。
そんな一連の課題解決に挑んだのが、製品出荷担当から石けんの製造部門に異動した公二さんだ。1年間の試行錯誤の結果、高さ30メートルの石けん専用スプレータワーを完成させた。この設備は粉石けんの粒の表面積を大きくし、溶けやすくするための果敢な挑戦だったが「これが失敗。水分がうまく飛ばず、べっとりした石けんになっちゃったのが悔しくてね。自分は絶対に粉石けんづくりのたくみになってみせるぞと心に誓いましたよ」

そのスプレータワーがきちんと機能するまでには、さらに2年の歳月を要した。「粉石けん専用スプレータワーの国産第一号。日本では当社にしかありません」という公二さんの言葉に力がこもるのも無理はない。

たとえ「〇〇石けん」という社名でも、合成洗剤と石けんの双方を製造する企業が多い。「日本国勢図会2018/19」(矢野恒太記念会)によれば、日本には石けん・合成洗剤を製造する事業所が263あるが、ヱスケー石鹸のような石けん一筋の企業は数社しかない。

未知の製品づくりに挑む

この36年間、ヱスケー石鹸と生活クラブの「架け橋」を務めてくれた同社常務の小林衛さん

「入社したての83年に生活クラブの担当になったのですが、その年に生活クラブが取り組んだ石けんハミガキの開発で、いきなり大失敗。心底真っ青になりました」と話すのはヱスケー石鹸常務取締役の小林衛さん(65)。生活クラブの担当になった小林さんは、以後36年間、組合員との交流を重ね、石けんカスの抑え方や石けんが最も効力を発揮する洗濯の仕方を伝えてきた。

「石けんハミガキ」と聞いては、とても黙ってはいられないと公二さんが反応した。「あれには参った。家庭用粉石けんもそうでしたが、当社はハミガキを製造したことがなかったのです。それでも何とかしなければと各メーカーに製法を聞いてみたのですが、企業秘密の壁に阻まれて、まったく教えてもらえませんでした」

あの手この手で製造現場の総力を結集し、生活クラブの原料指定に従って「石けんハミガキ」を83年9月に完成させたが、いざ製品が組合員に届くと、とんでもない事態が待っていた。いくらチューブを押しても、ハミガキがカチカチに固まっていて出てこず、「足で踏みつけなくちゃ、使えないじゃない」といったクレームが組合員から生活クラブのセンターに殺到した。

石けんハミガキの開発に当たり、生活クラブは「1人1本の利用」を組合員に提案しており、初回製造分だけで9万本を超える注文があった。固化の主な原因は配合した炭酸カルシウムとアルギン酸ナトリウムの相性の悪さにあった。小林さんは言う。

「当然、山のような返品があると覚悟していたのですが、1本もありませんでした。それどころか、多くの組合員が絞り出したハミガキを別の容器に移して、クレンザー代わりに使ってくれたと聞いて、心が震えました。この経験があったから、その後の材の開発・再開発に際し、当社は生活クラブの組合員への情報開示を徹底し、率直な意見を言ってきました。この繰り返しが信頼関係を醸成してきたと感じています」

一般の商慣行では即座に「取引中止」となるところだが、生活クラブの組合員は「大失敗」の責任を生産者だけに転嫁しなかった。おまけに課題を発見したら、自分たちで創意工夫し、利用しながら生産者に改善を求め続けた。ここに単なる「要求型」ではない共同購入の姿があると思うが、どうだろう。

木曽基之さん(34)は入社10年目。生活クラブを担当して今年で3年半になる。「生活クラブの組合員からの質問は鋭く、難しいものが多い。勉強になります」と言う。

夢は「石けんルネッサンス」


学生時代はグループサウンズに憧れ、ミュージシャンを志した。まともに就職する気持ちは全然なく、社会を回遊するように生きていきたいと本気で願っていた。
「親の目には腰が据わらんやつに見えたのだろう。いきなり身を固めろと言われ、それなら仕事にも就かなければならないな」と、父が社長で叔父が営業部長のヱスケー石鹸に入社する。

それでも「人間はふらふらしていてはいけない」と新妻に諭されたというから、筋金入りの「自由人志向」の持ち主だ。それが一転。真面目に連日出勤し、倉庫や工場で汗を流す日々を送るようになったのには「あいつは社長の親族だから」と周囲からは見られたくないとの強い思いがあった。

前任者が亡くなり、急きょ工場長を任されたのが27歳。以来「どうせやるなら自分にしかできないことをやろう。その道の匠(たくみ)になってやる」との一心で仕事と向き合ってきたという。そのオリジナリティへの執着がヱスケー石鹸史上初となる家庭用粉石けんと石けんハミガキの製造を成し遂げる力となった。
それでも「家庭用粉石けんは、まだ改善の余地がある。挑む価値が大きい仕事だ」と倉橋公二さん。ときに「石けんキング」に姿を変え、合成洗剤全盛の社会を一喝し、石けんルネッサンス(復興期)を夢みている。

撮影/魚本勝之  文/本紙・山田 衛

『生活と自治』2019年7月号「新連載 産地提携の半世紀」を転載しました。

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