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尽きない不安 それでも原木シイタケで里山を

静岡県伊豆市の「中伊豆椎茸(しいたけ)部会」では原発事故の余波を受けながらも、いまも自然の摂理を生かした原木シイタケ栽培で地元の山の保全に努める。

25年サイクルで木々を

隣接する山から切り出し、長さをそろえて組まれたクヌギ。
1本の重さは平均50~80キロ3頭のシカが車の前方を横切った。シイタケを栽培する「ほだ場」に向かう途中、林道に入って間もなくの突然の出来事だった。
静岡県伊豆市冷川大幡野(ひえかわおおはたの)は通称「伊豆平(いずだいら)」。標高500~700メートルの山間地に、奥深い樹林が広がる。

この地域のシイタケ生産農家からなる「中伊豆椎茸(しいたけ)部会」の山口紘(い)さんが、シイタケを栽培している山の峰は、シカを目撃した場所からさらに林道を奥に入った山中にあった。

時折、ウグイスのさえずりが聞こえる中、木々の合間を縫うように、1万本を超えるほだ木が整然と並んでいた。
クヌギやナラを伐採し、長さ1メートルほどに丈をそろえた原木にドリルで穴を開け、シイタケ菌を培養した駒(木片)を植え付けたのが、ほだ木。その置かれている場所がほだ場と呼ばれる。
道にくっきり残るシカの足跡
シカがシイタケを食い荒らすのを防ぐため、ほだ場の周囲には防護柵が張り巡らされていた。ほだ木には近隣の山で伐採した木を使っているが、その伐採エリアの周囲にも触れると感電する電気柵が設置されていた、山口さんは「シカが増えて木の芽を食べてしまうのです。シカの食害が一番の問題」と言う。

近年、里山の木々は25年サイクルで切り出され、その後、木の株から出て来る新しい芽を育てる「萌芽(ほうが)更新」によって保全されてきた。地元で伐採した原木を使い、風通しがよく、直射日光の当たらない樹林のなかで栽培される中伊豆産シイタケは、良質で美味との定評がある。

シイタケ栽培発祥の地

伊豆市周辺は温暖で降水量にも恵まれ、原木シイタケ生産に適している。その栽培の歴史は江戸時代に始まる。
1741年に門野原(かどのはら・現在の伊豆市天城湯ヶ島─あまぎゆがしま─地区)の石渡清助(いしわたせいすけ)という人物が日本で初めて、シイタケの人工栽培に成功したという記録が残されている。

その後さまざまな工夫と改良が加えられ、なたで原木に傷をつける「なた目方式」と呼ばれる栽培方法が確立された。ただし今は種菌を植え付ける方法に代わっている。
1970年代には中伊豆や修善寺地区など、現在の伊豆の国農協(JA伊豆の国)管内では1000人ほどの農家がシイタケを栽培していた。当時は原木が足りず、山梨県や福島県から調達していたほどだという。

ところが、90年以後、中国から安価なシイタケが大量輸入されたことなどから、生産農家数は最盛期の10分の1程度に激減した。それに伴い、25年サイクルで山の木々を伐採し、萌芽更新していく里山保全も危機にひんするようになった。

このため、95年に5人の生産農家が中伊豆椎茸部会を立ち上げ、原木シイタケ栽培による里山保全を掲げ、生活クラブ向けの生シイタケの出荷に取り組んだ。
部会のメンバーは干ししいたけも生産し、JA伊豆の国を通して静岡県や首都圈の市場を中心に販売している。
ハウス栽培されるシイタケも
同部会代表の三技広次さんは「この地域の原木を使って栽培するから品質の良いシイタケが作れると思っています。それが地元の里山保全にもつながっています」と話す。

三技さんは明治時代からシイタケ栽培を続けている生産農家の4代目だ。18歳から50年にわたり、シイタケを栽培してきたベテランでもある。三枝さんの自慢のほだ場を見せてもらった。
伊豆平の山を2ヵ所借り、自分で伐採した原木で、シイタケを栽培する。メーンのほだ場は約1.5ヘクタールの広さで、5万本ほどのほだ木が組まれていた。
丹念に組まれたほだ木の姿は美しく、自らの仕事への誇りと強い愛着が表れていた。

一難去って、また一難

ほだ場の周囲にはシカの食害防止柵が最も悩ましい問題は増え続けるシカの食害だったが、福島原発事故から半年後の2011年10月、新たな難題が降りかかった。
静岡県の調査で、伊豆市産の干ししいたけから、国の暫定基準値である1キロ当たり500ベクレルを超える放射性セシウムが検出された。
これにより原発事故の発生直後から11年9月までに収穫、加工された干ししいたけの出荷自粛と自主回収を余儀なくされた。
農家は収穫したシイタケを泣く泣く上中に埋め、干ししいたけは焼却処分せざるを得なかった。テレビのインタビュー取材の対応にも追われる日々が続いた。

「中伊豆椎茸部会」会長の三枝広次さん
三枝さんは「静岡県内にある浜岡原発の事故なら、すぐに想像もつきますが、福島原発の影響です。心底驚きましたよ。まさに青天のへきれきでした。もうシイタケを栽培しても売れないんじゃないか、売れないものを作っても仕方がないと動揺がおさまりませんでした」と振り返る。

12年以後、生産出荷体制は徐々に元の状態に戻っていったが、干ししいたけの出荷価格は2000円前後と通常相場のほぼ半値まで落ち込み、なかなか回復しなかった。福島原発事故の風評被害が続いたからだ。
JA伊豆の国が東京電力と交渉した結果、事故前5年間のデータから算定し、1キロ当たり3966円を下回る場合には差額を生産農家に補償することで一応の決着をみた。
こうして放射性物質という目に見えない不安を抱えながらも、中伊豆椎茸部会はシイタケ栽培を継続した。

いつ収束するのか

25年周期の萌芽更新の成果ところが、今年になって各地で集中豪雨が相次ぐなど天候不順が続き、全国的にシイタケ栽培が不作となった。このため、干ししいたけの価格が1キロ当たり4000円を超え、大分などの産地を抱える九州では5000円を超える高い相場になっている。

伊豆でも生産量は通年の7割前後の水準に減少し、価格は補償基準を若干上回った。
「来年以後、干ししいたけの相場が再び下がった場合に、はたして新たに補償金を支払ってもらえるのか、不安は尽きませんよ」と三枝さん。
生産量の大幅な減少によるシイタケ価格の高騰を機に、福島原発事故による風評被害が鎮静化してほしいと願う。
 

左から部会員の山口紘さん、三枝広次さん、勝又浩之さん、石井隆一さんそのためにも国の基準値を超えるような干ししいたけが出ないよう部会のメンバーは細心の注意を払っている。
たとえば、原木を使う前に半日、水槽にためた水に漬ける作業をするが、水槽の水をため置くのではなく、山の清水が流れ込んでは出ていく流水状態を保つようにしている農家もいる。
三枝さんは「現在は使用が見送られている地元の学校の給食で、生シイタケが使われるようになれば、風評被害が収まったことを示す目安になるかもしれません」と希望を語る。


 


◆人の手が入ってこその「自然」

 

文/本紙・山田 衛


再生循環の物語が始まる

天城の峰々が海岸線まで迫り、沖合には伊豆大島が浮かんでいる。町のあちこちには温泉をくみ出す井戸があり、絶え間なく吹き上げられる湯煙が黒潮の香りを帯びた浜風と混じり合う。そんな伊豆半島(静岡県)東海岸の小さな町で生まれ、高校時代までを過ごした。

われながら日常の視野の狭さにあきれるばかりだが、江戸時代から郷里の山中で原木シイタケが生産され、「原木栽培発祥の地」と称されていると知ったのは数年前、「中伊豆椎茸部会」を訪ねたときだった。原生林はともかく、植林で生まれた山の木々は手入れを怠れば荒れていく。そこで人が周期的にクヌギやナラを伐採してやる「萌芽(ほうが)更新」の力で、木の世代交代を促す。まさに人の手が入って初めて輝きを放つ自然といっていい。

伐採した木も無駄にはせず、シイタケ栽培用の原木(ほだ)として2年半ほど活用する。やがて役目を終えた木々たちは朽ちて山の土へとかえっていく。
「広葉樹にはほんに頭が下がる思いですわ」と話してくれたのは、中国山地の片隅で原木シイタケ栽培に人生をかけた農家だった。「根はしっかりと水を蓄え、落ち葉は滋味豊かな大地を育てる。萌芽更新のために伐採すれば、木は炭やまきなどのバイオマスエネルギー源にもなり、シイタケという食材まで恵んでくれる。まさに自然の循潮力には心から感謝するしかありませんな」

久方ぶりに中伊豆椎茸部会を訪ねた道すがら、いやもおうもなく目に飛び込んでくる深い緑の広がりに圧倒されながら、「自然の循環力」という中国山地の守人の言葉がしきりに思い起こされた。

その循環力が根底から激しく揺さぶられ、寸断されてから4年半が過ぎた。福島第一原発事故で飛散した放射性物質は、山にも海にも大地にも滞留した状態がいまも続く。

表面上の平静さこそ取り戻したものの、内面では困惑や不安を拭い去れない農業者や漁業者、林業者は少なくないはずだ。なかでも放射性物質を比較的吸収しやすいとされる原木シイタケを扱う農業者の苦悩は並大抵ではなかろう。

中伊豆椎茸部会の農家の心も揺れていた。事故直後には政府の暫定規制値を超える放射性セシウムを含むシイタケが見つかり、「廃業もやむなし」の空気も支配的になった。しかし、事故翌年の2012年以降は暫定規制値を超えるものはなく、通常の出荷体制がとれている。そうはいっても一度立った風評は容易に消えず、まとわりつくかのように彼らをさいなみ続ける。それでも皆が「山を荒らすわけにはいかない」「シイタケ栽培は捨てられない」と異口同音に語った。

取材を終えて戸外に出ると、沈うつな色をした空から降り続いた雨がやんでいた。湿り気を帯びた郷里の緑が心なしか輝いてみえた。

『生活と自治』2015年9月号の記事を転載しました。

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